銃を携え国を守った女傑・新島八重
新島八重さんは、皇族以外の女性で初めて勲六等宝冠章を受勲した女性です。 若い頃は銃を持って戦場に立ち、多くの敵を倒しました。 戦後は夫・新島襄の同志社設立を支え、襄の死後は看護婦として従軍しました。 40名もの看護婦たちをまとめあげ、敵味方無く怪我人を世話し、看護婦達の地位向上にも尽力します。 「幕末のジャンヌ・ダルク」 「ハンサムウーマン」 「日本のナイチンゲール」 そんなふうに称される新島八重さんの生涯とは、どのようなものだったのでしょうか。
新島八重さんは、皇族以外の女性で初めて勲六等宝冠章を受勲した女性です。 若い頃は銃を持って戦場に立ち、多くの敵を倒しました。 戦後は夫・新島襄の同志社設立を支え、襄の死後は看護婦として従軍しました。 40名もの看護婦たちをまとめあげ、敵味方無く怪我人を世話し、看護婦達の地位向上にも尽力します。 「幕末のジャンヌ・ダルク」 「ハンサムウーマン」 「日本のナイチンゲール」 そんなふうに称される新島八重さんの生涯とは、どのようなものだったのでしょうか。
1853年の黒船来航以来、その弱体振りを露呈していた徳川幕府は、何とか幕藩体制を維持・強化しようと、公武合体論を打ち立てました。 その公武合体のメインとも言える政策が、皇女・和宮の、徳川将軍家への降嫁でした。 意外に質素な暮らしぶりの、和宮さま幼少時代 和宮さまは、弘化3年(1846年)7月3日、第1...