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芹沢鴨の辞世の句

芹沢鴨の辞世の句として伝わっている有名な歌があります。

雪霜に ほどよく色のさきがけて 散りても後に 匂う梅が香

春は遠い雪霜の中、他の花に先駆けるように鮮やかに咲いた梅は、たとえ早々に散っても、後に香りが残って、その存在を示すだろう…というような意味でしょうか。
転ずると、
「攘夷の魁となって自分は散っていくが、この志は、散った後にも香る梅のように、後世へと受け継がれていくだろう」
という意味が込められているのでしょうね。

これは、芹沢鴨の辞世の句として残っていますが、実際には新選組時代に詠んだものではなく、玉造勢の下村嗣司として投獄されている時、死を覚悟して詠んだものです。
なんでも、小指を喰いちぎってその血で壁に句を遺したとかなんとか…(怖)

まあ、書いた方法はともかく、歌そのものはとても美しく、芹沢鴨の知性やセンスが存分に発揮されているのではないでしょうか。

ちなみに、梅の花は、芹沢鴨にとって、とても思い出深い花です。

水戸藩士の尊皇攘夷思想を育てた場所、弘道館は梅の花に囲まれており、春が近づくと梅の香に包まれていたそうですし、弘道館と一緒に作られた偕楽園もまた、梅が数千本も植えられ、水戸の領民の憩いの場となっていたそうです。
(弘道館も偕楽園も、設立したのは水戸の尊王攘夷論を推し進めた第9代藩主・徳川斉昭公)

梅の香りは、水戸藩士にとって青春と故郷の香りそのものだったのかもしれません。

天狗党の中心メンバーであった、武田耕雲斎なども

咲く梅は 風に儚く散るとても 馨りは君が袖にうつらん

という歌を残しています。

それに、芹沢鴨が愛した女性の名も、梅でした。
なんだか不思議な符合ですね。

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