総司が詠んだといわれる辞世の句に、
動かねば闇にへだつや花と水
というものがあります。
この句の解釈の一説に、
「花は総司自身、水は土方歳三」
を表現しており、
「戦えなければ、土方さんと離れ離れになってしまう…」
という総司の嘆きが込められている、と言われていますが…。
これ、ホントに総司の詠んだ句なんでしょうか?
武士の辞世が、自らを花に例えたラブレター?!
これはいわゆるBL(ボーイズラブ)的な…
総司と土方歳三が念友だったという前提でないと、なかなか成立しがたい解釈ですね^^;
まあ、新選組の隊内でも、一時男色がブームになったという歴史的事実もあるらしく、一概に否定は出来ません。
(総司と歳三がそういう関係だったと断定する資料も、もちろんありませんが)
仮に、ふたりが「そういう仲だった」と仮定したとして・・・。
それでも、上記のような句の解釈には、なんとなく違和感があるんですよね。
若くして病に倒れた天才剣士、というと、確かに上記のような句でも詠みそうな、貴公子然としたキザな男性像が浮かんできます。
しかし、幼い頃から生家を離れ、剣術道場という男所帯で汗臭い日々を過ごしてきた総司の本質は、たぶんゴリゴリの体育会系なんじゃないでしょうか。
- スパルタの剣術指導、すぐ怒る
- 師匠の近藤より短気で怖い
- 卑怯なまねをした部下の首根っこを引っつかんで、その頭を畳に擦り付けて引きずり回し「馬鹿野郎!」と叱った
など、伝え残るエピソードもそれを物語っています。
一方で、
- 冗談ばかり言っていつも笑っていた
- 遊郭での女遊びなどはあまりせず、近所の子供達と遊んでいることの方が多かった
という証言も残っていますから、ただ乱暴で短気なだけの人ではなかったのでしょうが、だからって、自分を花に例えた句とはまた、極端に女子っぽいというか、ナルシスティックというか…。
いや、お侍さんの辞世の句に、花が登場するのは珍しいことではありません。
しかしそれは、思想や誰かの教え、または栄華などを花に例えるパターンが多いように思うのです。
とにかく、仮にも忠義に生きた武士の辞世の句が、自らを花に例え、色恋がらみの未練を詠んだものだなんて、妙に安っぽいというか、どうにもしっくり来ないのです。
※もちろんこれも個人的な雑感に過ぎませんので、解釈は人それぞれです。
土方歳三の句、
「さしむかう心は清き水鏡」
への、返歌説について
総司の辞世の句は、土方歳三の
さしむかう心は清き水鏡
への返歌であると考える説もあるそうですね。
土方のこの句は、おそらく文久三年より前に作られたと思われる「豊玉発句集」に記されたものですが、この句はそもそも土方のオリジナルではないのでは?という説があるようです。
盤珪永琢という僧侶が詠んだ和歌に、
差向かう心は清き水鏡
よしあしうつる影は止めじ
差向かう心ぞ清き水鏡
色つきもせずあかづきもせず
というものがあるそうで、「盤珪禅師語録」というものにそれが記されているんだとか。
土方は風流人の兄を慕って育った人ですから、盤珪の歌を知っていた可能性も高いでしょう。
この短歌を気に入り、自分のお手本として発句集に書き写したとしても不思議はありません。
少なくとも、歳三と盤珪が偶然同じフレーズを思いついたと考えるよりは自然ではないでしょうか。
もし総司の辞世が、この句への返歌なのだとしたら、それは歳三に宛てた返歌ではなく、盤珪への返歌ということになってしまいますね。
↑こちらが件の「盤珪禅師語録」↑
沖田や土方云々は関係なく、レビューなどを見ると随分と評価が高い書籍のようです。