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沖田総司 新選組での活動

ここでは、新選組として活動していた沖田総司の役職、愛刀、出動した任務、
そして、おそらく初めて関わったと思われる暗殺事件に関する考察などをご紹介します。

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役職

・副長助勤筆頭
・一番隊組長
・小銃頭
・剣撃師範

副長助勤や一番隊組長の他にも、結構色々やってたんですね。

佩刀

沖田総司の刀として名前が残っているのは、下記のふたつです。

・加州清光
・大和守安定

加州清光は、池田屋事件の時の佩刀で、刀の「帽子」といわれる先端部分が折れて、修理に出された記録が残っているそうです。
「菊一文字」は・・・、さすがにないですよね(笑)

総司の刀の詳細に関しては「沖田総司の愛刀」をご参照くださいませ。

活動

1. 暗殺
2. 大阪で力士と乱闘
3. 禁門の変
4. 池田屋事件
 (戦闘中に、体調不良により戦線離脱)
5. 蛤御門の戦い
6. 山南敬助脱走の追跡、切腹の介錯
7. 三条政札事件
8. 四条橋畔で土佐藩士・中井庄五郎・那須盛馬らと乱闘(?)

ざっと挙げると、こんな感じでしょうか。

ただ、8の乱闘事件に関しては、怪しいです。

田中光顕の維新風雲回顧録では、
「中井庄五郎・那須盛馬たちと、沖田・永倉・斉藤の3名が、四条橋畔で乱闘になった」
とあるようなのですが、その乱闘に参加した那須が書いたものとされる手紙には、「二人殺し、ひとり逃げられた」と書かれていたそうです。

もちろん、沖田・永倉・斉藤、3人のうち、誰一人斬られてなどいませんので、これが総司たちであったとは、考えづらいですね。

あとは時々、将軍や幕府の要人警護のために、色んな場所に赴いています。

しかし、いよいよ明治維新が近づき、新選組が鳥羽・伏見をはじめとする様々な戦に出る頃には、総司は労咳(現代でいう肺結核)が進行し、とても戦える状態ではなくなっています。

暗殺という、汚れ仕事

沖田総司が初めて暗殺作戦に参加したのは、文久3年(1863年)、上洛してすぐのことだったそうです。
暗殺の対象者は、殿内義雄。
殿内は、一緒に江戸から上洛してきた浪士組のメンバーで、総司たちと同じ京都残留組でした。
(※浪士組が、すぐに江戸に戻った大部分と、少数の京都残留組に分かれた理由は「ひとくち解説」にあり)

殿内は、芹沢派や近藤派のような派閥は持っていませんでした。
しかし、浪士組の取締役だった幕臣・鵜殿鳩翁(うどのきゅうおう)に隊の取りまとめ役をまかされており、浪士組では筆頭格にありました。
幕府からも、一定の信頼を得ています。

そんな殿内が、自分の派閥を作るため、仲間を集めようと動き出したのです。
それは当然、芹沢・近藤一派にとって、歓迎できない事態です。
結果、芹沢・近藤一派は、殿内の暗殺という形で、浪士組内の主導権争いに勝利しました。
実行犯は、近藤勇、沖田総司で、手を下したのは総司だったといわれています。

殿内は、人間性に問題があり、そのせいで近藤と対立していた、という説があります。
しかし、だから「斬って良い」という話にはなりえません。
近藤は郷里に送った手紙に、この一件について下記のように記しました。
「すでに同志のうち、失策など仕出かし候者は、速やかに天誅を加え候。」
どんな失策があったのか知りませんが、いくら尤もらしい事を言っても、この時期だと、幕府や守護職からの密命という可能性もないでしょうから、やはり、血なまぐさい権力争いの果ての謀殺だったのでしょう。

これにより、ひとまず新選組の中核は芹沢・近藤一派が担うこととなりました。
中でも芹沢は新選組局長首座として、隊内最高の地位に就きます。

しかし結局はその芹沢も、同年、近藤一派により暗殺され、命を落としています。
ちなみに、殿内・芹沢両名に共通する暗殺の手口は
「思い切り酒を飲ませ、酔ったところを狙う」
というもの。
総司は、芹沢暗殺のメンバーでもありました。

沖田総司の正義

こう見ると、
「新選組において近藤一派は善、その対抗勢力が悪」
という色んな物語で見られる図式が、実際のところはそんな単純なものでもなかったのであろうことが窺えます。

殿内は幕臣・鵜殿の信任を得て、京都の浪士組の取り纏めを正式に命じられていました。
芹沢も、元は歴とした武士の家柄で、経験も実績もある実力者でした。

そんな彼らを排除して、江戸の貧乏道場の主に過ぎなかった近藤勇が、新選組のトップとして君臨出来たのは、決して偶然などではなく、血まみれの権力争いの結果なのでしょう。
また、そうした争いに勝つ以外、身分も後ろ盾もない試衛館一派には、生き残る道がなかったとも言えます。

血縁者との縁が薄かった総司にとって、試衛館の仲間は家族同然の存在だったであろうことは、想像に難くありません。
中でも近藤は、総司を可愛がってくれて、育ててくれて、認めてくれた、大切な師です。

悪を挫く正義としてでなく、堂々と名乗りを上げて立ち合うのでもなく、闇に紛れて、私的な目的のために人を殺めるという大罪を犯す…
けれど、それが近藤勇のためになるのなら、総司にとっては正義だったのでしょうか。

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