PR

強気!三本木の芸妓、駒野

幕末のころ、京には島原や祇園、先斗町の他に、三本木という花街がありました。
ここは、勇たち新選組と敵対する長州藩士が贔屓にしていた街です。
尊王攘夷派の中心人物であった、桂小五郎の馴染みの幾松さんも、この街の芸妓さんです。

そんな長州派の多い街にいながら、なぜか新選組局長の近藤勇と恋に落ちた芸妓がいました。
それが駒野さんです。

PR

「勇の子はどうなった?」
明治になってから駒野を訪ねた意外な人物

駒野さんは、勇との間に男の子を一人もうけています。
明治に入ってから、駒野さんとその子の事を心配したある人物が、彼女の元を訪ねると、子供の消息について、駒野さんは次のように語りました。

「その子は五つまで里子に出していたが、その後手元に引き取り、七つまで自分の手で育てた。
子が七つの時に、ある人の勧めで寺に入れて仏弟子にしたところ、見所があったのか和尚が教育に力を入れ、立派な僧侶になった」と。

ちなみに、この時駒野さんを訪ねた人物というのが、深雪太夫だったそうです。
これが本当に深雪さんだったとしたら、やはり深雪病没説は間違い、ということになります。

やはり深雪さんは、実の妹に勇を奪われ、200両の手切れ金で捨てられてしまったのでしょうか。

しかし、本当に勇との別れが彼女にとって理不尽で酷い経験だったなら、明治の世になってから、勇の関係者や血縁者を訪ねるような真似を、わざわざするとは考えにくい気もします。

詳しく資料にないだけで、姉妹にとっても、勇にとっても、納得ずくの別れだったのか…。

それとも、酷い目に遭い、辛い思いをさせられて尚、忘れ去ることができないくらい勇が素晴らしい男性だったのか…。うーん。

世間がどう言おうと、自分の気持ちに一直線!

駒野さんには、こんな有名なエピソードが残っています。

勇が板橋で処刑され、その首が三条河原に晒された時のことです。
駒野さんは辻講釈師にお金を渡し、京都での勇の活躍を称え、その死を悼む一席を講演させました。

勝てば官軍とはよく言ったもので、当時新選組や旧幕府軍はすっかり悪者、賊軍扱いされる世の中です。

そんな中、勇を称えるような講演をさせれば、新政府が黙って許すはずがありません。

彼女は官軍に捕らわれ、髪を切られて追放されたといいます。
きっと、そうなることが分かっていて、それでも黙っていられずやったのです。

長州派の同僚が多い職場でも、近藤を愛すようになったり、世間が旧幕府軍を賊軍だと言っても、勇を称えるような講演をさせたり…。

こうした行動をみるに、駒野さんという女性は、世間や周りに流されず、自分の意見や価値観に正直に行動できる人だったのでしょうね。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存
PR