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芹沢鴨の愛妾 お梅

文久3年9月16日未明。新選組局長首座、芹沢鴨が暗殺されました。
そして、一人の女性が、この事件に巻き込まれて命を落としています。

彼女の名は、梅。芹沢鴨の愛妾でした。

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芹沢とお梅、出会いは借金の督促だった

新選組の隊服といえば、誰もが知る通り、赤穂浪士の芝居を模したダンダラ羽織ですが、当時、まだまだ貧乏だった新選組にとって、隊士全員分の隊服を仕立てるのは、決して簡単なことではありませんでした。
(というか、実際全員には行き渡っていません)

結局、その代金は当時の新選組局長首座であった芹沢名義の借金となります。

隊服の注文を受けたのは、四条堀川の呉服商、菱屋太兵衛。
菱屋は、代金支払の督促をしなくてはなりませんが、相手は荒くれ者の芹沢鴨です。取立てに行った番頭が恫喝されて逃げ帰ってくることも珍しくありませんでした。

困った菱屋は一計を案じます。
男より女の方が当たりが柔らかく、波風立てずに代金を回収できるのではないか、と。
そこで、愛人のお梅さんを、文字通り壬生狼といわれる狼の巣へと遣わしたのです。

暴行されたのに、自分から通うようになった?
伝え残る、不自然な馴れ初め

お梅さんは、元は島原のお茶屋にいた芸妓で、菱屋に落籍され、その妾として過ごしていました。

年の頃は22~23歳、愛嬌があり、美しい目元と引き締まった口元が印象的な、垢抜けた美女だったそうです。

菱屋に命じられ、借金の督促のために芹沢の元に通うようになったお梅さんを、ある日、芹沢は手篭めにしてしまいます。

お梅さんも、最初は芹沢を嫌がっていたものの、そのうち自分から芹沢のところへ通うようになったとか…。

でもこれ、二人の馴れ初めとして、かなり無理があるような気がするんですよね。

この話のくだりは、色んな文献、小説で
「手篭めにした」
「無理矢理自分のものにした」
などと書かれていますが、平たく書き換えると、こうなるんです。

菱屋に命じられ、借金の督促のために芹沢の元に通うようになったお梅さんに、ある日、芹沢は性的暴行を加えます。

お梅さんも、最初は芹沢を嫌がっていたものの、そのうち自分から芹沢のところへ通うようになったとか…。

って、「え、なんで?」ってなりません?

そもそも、この証言自体が、まだ年端も行かない少年だった八木為三郎さん(新選組が寄宿していた八木家のお子さん)の主観による証言を元にしたものです。
まあ証言したのはお爺さんになってからですが。

それを、子母澤寛先生が創作を織り交ぜて小説にされているわけです。
ぶっちゃけ、男性の勝手な幻想が、相当含まれているんじゃないかなぁ…(笑)

性犯罪の被害者が加害者の元に喜んで通うなんて、普通に考えたらやはり妙な話です。

ふたりは、普通に恋に落ちたんじゃないでしょうか。

芹沢について伝え残る人物像は、とにかく乱暴者で、たちの悪い酔っ払いという印象が強いですが(そしてその印象通りのエピソードも多々ありますが)、意外と繊細で優しい一面もあったようです。

新選組が宿所として世話になっていた八木家に不幸があった時には、率先して近藤に声をかけて弔問客の受付を手伝ったり、八木家の子供たちに面白い絵を描いてやって笑わせたり。

八木家の人々は、お酒さえ飲んでいなければ芹沢は気さくで聡明な人だった、と証言していたそうです。
ただその「飲んでいない時」が極端に少なかっただけで…(残念)

元々は由緒正しい武家に生まれた生粋の武士で、苛烈な尊王攘夷思想集団・天狗党の大幹部だったほどの人物です。

借金の取立てに愛人を使うような男(菱屋)より魅力的だと、お梅さんが思ったとしても不思議はありません。

明治に入ってから、新選組の幹部だった永倉新八が書き残した『浪士文久報告記事』にも、以下のような記述があります。

“芹沢鴨、菱屋の妾、梅を愛し居る…”

「強奪した」でも「手篭めにした」でもなく、ただ、愛したと。

お梅さんが芹沢を嫌がっていたように見えても、実はそれはただのツンデレで、本当に彼女が芹沢を嫌がっていたわけではないのかもしれません。

強引に口説いているシーンが、無理矢理襲っているように見えたのかもしれません。
ちなみに強引と無理矢理は全然違います。

小さな男の子だった為三郎少年には分からなくても、当人同士には分かる何かがあったのかも。

あくまで個人的な妄想ですが、こう考える方が、
「お梅さんは暴行された相手に靡いた」
なんて話よりは、まだ腑に落ちる気がします。

しかし、いずれにせよ、芹沢との恋はやがてお梅さんを、残酷な死へと向かわせるのでした。

暗殺の夜、現場にいた3人の女たち

芹沢鴨が暗殺された夜、彼らが寝所として使っていた八木家の離れには、芹沢とお梅さんを含めた男性3人、女性3人、計6人が眠っていました。

暗殺のターゲットは男性の3人です。

その3人の内、殺されたのは芹沢と、その部下の平山の2人。
後の1人は、刺されたものの死んだフリで戦闘を避け、夜陰に紛れて逃げおおせました。

暗殺者が外部犯なら、逃げる必要はありません。
自分たちを殺しに来たのが身内、つまり新選組内部の人間だったから、隊に残ることに危険を感じ、逃げたのでしょう。

そして、本来ターゲットではないはずの3人の女性。
1人は、芹沢の愛妾・お梅さん。
あとの2人は、島原の天神、糸里さんと、吉栄さんです。

お梅さん以外の2人は、襲撃の際、たまたまトイレに立っていて難を逃れたとか、あらかじめ危険を知らされていたとか、諸説あるのですが、とにかく助かっています。

暗殺者が踏み込んで来るタイミングに、上手い具合にふたりの女性が現場を離れていたのは、偶然とは考えにくいので、事前に救済策が取られたものと思われます。

暗殺を企てる側からしても、ターゲットの人数が増えれば増えるほど、現場は混乱し、本来の目的も遂げにくくなるでしょうし、殺さずに済むなら助けたいという人情もあるでしょう。

しかし、お梅さんだけは違いました。

もし彼女が、糸里さんや吉栄さんのように、ただ仕事として芹沢と同衾していたなら、もしくは芹沢が恐ろしくて逆らえないからという理由だけで芹沢の寝所にいたのなら、むしろ命は助かったのかもしれません。

「危ないから、寝所に戻るな」と忠告されれば、それを聞き入れるだけで良いのですから。

おそらく、そうでないから殺すしかなかったのではないでしょうか。

事前に危険を知らせてしまえば、お梅さんは命を懸けてでもそれを芹沢に伝えるだろう、そういう判断だったんじゃないかな、と。

事実上、夫婦みたいにみなされていたのかもしれません。
実際、後に芹沢の葬儀が新選組で執り行われた際、芹沢とお梅さんの合葬案も出たそうです。

しかし、この合葬案は、近藤勇が強硬に反対したため、実現はしませんでした。
いわく、新選組局長首座である芹沢と、お梅のような売女(!)を合葬などできない、と。

その結果、お梅さんの亡き骸は夏の盛りに3~4日も放置されることになりました。

菱屋でも、
「すでに暇を出した女だから」
と、お梅さんの亡き骸の引取りを拒否しました。
すでに関係が切れていたのなら、それも無理からぬことでしょう。

結局、その亡き骸は、八木家が西陣のお梅さんの里へ引き渡した、とも、無縁仏として葬った、とも言われていますが、実際のところは定かではありません。

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