沖田総司の愛刀として後世に伝わる刀は、次の二振り、
- 加州清光
- 大和守安定
ここでは上記の刀について、ご紹介します。
総司が池田屋で使用した、加州清光
「御所に火を放ち、その混乱に乗じて帝を拉致する」
倒幕派によるそんな恐ろしい計画が練られていたのは、元治元年の夏のことでした。
それを阻止したことで、新選組は初めて、歴史の表舞台にその名を轟かせます。
世に言う、池田屋事変です。
この池田屋事変で、総司が使っていた刀が、加州清光でした。
池田屋では、総司は病のため途中で戦線を離れているのですが、戦線離脱までの間に、よほど激しく戦っていたのでしょう。
戦闘後、総司の清光の刃はボロボロで、帽子と呼ばれる先端部分は折れてしまっていたそうです。
池田屋には、20人以上もの志士たちが居ました。
しかし、池田屋内に乗り込んだ新選組隊士は、近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の4名のみ。
残り6名は、現場から逃走する浪士を捕縛するため、池田屋の外を固めていました。
20人の敵が居るところへ、たったの4人で斬り込んだのですから、刀が折れるほどの激しい戦いになるのも頷けます。
そんな激戦を経て、ボロボロになった清光を、総司が修理に出したという記録が残っているのですが、その後、清光がどうなったかは分かっていません。
もしかしたら、切っ先が折れるほど激しく損傷してしまったのでは、修復が叶わずお役御免になったのかもしれませんね。
ちなみに、加州清光は6代目の「非人清光(乞食清光)」がその異色の経歴とともに有名で、これを総司の清光だという方もいるようですが、総司の所有していた清光が実際は何代目のものであったかは、定かではありません。
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大和守安定
刀工には4つのランクがあるらしく、最上位に位置するのが、最上大業物、そして、大業物、良業物、業物、と続くそうです。
大和守安定は、良業物に分類される刀工でした。
切れ味が鋭く、虎徹に似た作風だったそうです。
総司は、師である近藤を慕い、使う剣や掛け声までそっくりだったと言うくらいですから、近藤の愛刀である虎徹(実際は偽者だったみたいですが)に似た刀を愛用していた、というのは、なんだかとっても
「らしいなぁ」
と思うと同時に、微笑ましくもありますね。
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