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斎藤一の最初の妻、篠田やそ

ここでは謎多き斉藤一の最初の妻とされる、篠田やそさんについてご紹介します。

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短い結婚生活

新選組時代の斉藤一は、独身で、特定の恋人がいたような記録もありません。

しかし、明治の世になってから、斉藤は2回結婚しています。
斉藤が最初の結婚をしたのは、明治4年ごろ。
妻の名は、篠田やそ。

悲劇的な死を遂げたことで有名な白虎隊の隊士、篠田儀三郎の遠縁の女性で、会津藩でも名家である篠田内蔵の長女だったといわれています。

しかし、この結婚生活は、すぐに終わってしまったようです。
というのも、この結婚からわずか3年余りで、斉藤は別の女性と結婚しているのです。

やそさんと斉藤の間には子供がいた記録もなく、やそさんと斉藤がどのような経緯で別れるに至ったのかも不明。
単純に離縁だったのか、それでも、病死などで死に別れたのか…。

会津戦争の敗戦から斗南に移り、そこで暮らした数年は、会津の人々にとって相当苦しい生活を強いられた時期だったはずですから、死別という線も十分あり得るのかもしれません。

結婚相手から考察する、斉藤一の素性

ちなみに、斉藤一の出身は、明石だとか播磨だとか会津だとか、色んな説がありますが、こうして会津の名家の娘を娶ることができるのですから、実は歴とした会津藩出身のお侍さんだったんじゃないかな、という気もします。
二人目の妻の時尾さんも、やはり会津で由緒正しい家柄の娘さんですし。

なにより、会津が落城寸前となった際にも、会津での戦闘に見切りをつけて、仙台へと転戦しようという土方に反対し、隊を脱してまで会津に残っていますしね。
彼の結婚相手や行動をみると、こんな風にも考えられるな~、なんて思う次第です。

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